本田憲子
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来歴
愛知県春日井市出身。母親は元バスケットボール選手、長兄はバレーボール選手、次弟は野球選手というスポーツ一家に生まれる。
名古屋市立桜台高校在学中、1960年全国高校バレーボール大会(徳島県)でベスト8を経験し、1964年東京オリンピック強化選手に選ばれる。卒業後、日紡貝塚に入社し、大松博文の指導を受ける。
1962年世界選手権( ソビエト連邦:モスクワ開催)で金メダルを獲得した。1964年東京オリンピック後の「新生ニチボー」で活動。1965年ブラジルバレーボール連盟主催 南米大会(サンパウロ開催)に全日本チームとして招待され優勝。欧州、中南米、アジアを転戦した。1966年第5回アジア競技大会(
タイ:バンコク開催)で金メダル。国内大会では都市対抗、全日本総合、日本リーグなどで優勝し、1967年にニチボー258連勝に貢献して引退した。
球歴
- 全日本代表としての主な国際大会出場歴
- 世界選手権 - 1962年
所属チーム
脚注
参考文献
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