本多長教
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本多 長教 (ほんだ ながのり)は、江戸時代中期の福井藩家老。通称は大蔵。越前府中本多家(本多内蔵助家)4代当主。
略歴
元禄3年(1690年)、福井藩6代藩主・松平綱昌の長男として江戸にて誕生。幼名は浅次郎。
父・綱昌は貞享3年(1686年)に乱心を理由に改易となり、蟄居の身であった。元禄12年(1699年)、藩主松平吉品の命で福井藩筆頭家老本多長員の養子となる。正徳6年(1716年)、通称を大蔵と改める。享保2年(1717年)、長員の死去により家督と2万石の知行を相続する。
享保3年(1718年)、幕府より江戸屋敷周辺の各自火消(三町火消)を命じられる。享保13年(1728年)没。享年39。正室は公卿葉室頼敦の娘。子に副紹。
参考文献
- 東京大学史料編纂所「本多家譜」
- 「武生市史」
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