木の岡古墳群(このおかこふんぐん)は、滋賀県大津市木の岡町にある古墳群

Thumb
木の岡本塚古墳 墳丘
Thumb
木の岡古墳群
木の岡
古墳群
木の岡古墳群の位置
概要 全ての座標を示した地図 - OSM ...
全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML
閉じる

実際の被葬者は明らかでないが、木の岡本塚古墳(木の岡丸山古墳)が宮内庁により「下坂本陵墓参考地」(被葬候補者:第38代天智天皇皇后倭姫)として陵墓参考地に治定されているほか、5基がその陪冢(陪塚)に治定されている。

概要

Thumb
下坂本陵墓参考地 拝所

滋賀県南部、湖西南半において琵琶湖を望む木の岡丘陵に営造された古墳群である。丘陵上において前方後円墳1基(茶臼山)・帆立貝形古墳1基(本塚)・円墳3基(御前塚・首塚・新塚)の計5基が分布するほか、大宮川下流域の平地において円墳2基(車塚・鹿道:厳密には車塚古墳群)が分布する。

古墳群のうち最高所に位置する本塚古墳(丸山古墳)は、墳丘長73メートル・高さ10メートルを測る帆立貝形古墳である[1]。墳丘は2段築成[1]。墳丘外表では葺石が認められるが、埴輪は検出されていない[1]。東側の円墳3基(御前塚・首塚・新塚)は本古墳の陪冢とする説がある[1][2]。被葬者に関しては、時期は異なるが倭姫(第38代天智天皇皇后)とする伝承があり、宮内庁により陵墓参考地に治定されている。

また丘陵上最南に位置する茶臼山古墳は、墳丘長84メートル・高さ6メートル(後円部)を測る前方後円墳である[1]。墳丘は1段築成[1]。墳丘外表では葺石が認められるほか、少量の埴輪が認められる[1]。埋葬施設は木棺直葬か粘土槨と推定される[2]1978年昭和53年)の前方部北側における発掘調査では周濠が検出され、多量の壺形土器が出土している[2]。この茶臼山古墳の前方部側には、かつて別の前方後円墳(墳丘長40メートル程度か)が存在したとされる[1]

この木の岡古墳群は、古墳時代中期の5世紀代の営造と推定される[2]。周辺では終末期古墳の平石古墳などの築造も知られ、日吉大社の存在と考え合わせて、湖南地域では唯一の首長墓群として注目される古墳群である[1]

一覧

さらに見る 古墳名, 所在地 ...
木の岡古墳群の一覧[1]
古墳名 所在地 位置 形状 規模 宮内庁治定 備考
本塚古墳
(丸山古墳)
大津市木の岡町北緯35度4分44.22秒 東経135度52分58.87秒帆立貝形古墳墳丘長73m下坂本陵墓参考地2019年度測量調査
御前塚古墳北緯35度4分46.25秒 東経135度53分3.68秒円墳下坂本陵墓参考地飛地い号
首塚古墳北緯35度4分42.72秒 東経135度53分1.32秒円墳下坂本陵墓参考地飛地ろ号
茶臼山古墳北緯35度4分35.42秒 東経135度52分59.40秒前方後円墳墳丘長84m下坂本陵墓参考地飛地は号1978年発掘調査
新塚古墳北緯35度4分45.13秒 東経135度53分4.85秒円墳下坂本陵墓参考地飛地ほ号
車塚古墳大津市比叡辻北緯35度4分27.77秒 東経135度52分53.70秒円墳直径25m下坂本陵墓参考地飛地に号車塚古墳群
1990年度発掘調査
鹿道古墳円墳直径14.3m車塚古墳群
閉じる

脚注

参考文献

関連文献

外部リンク

Wikiwand in your browser!

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.

Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.