有栖川宮幸仁親王
江戸時代の皇族 ウィキペディアから
有栖川宮幸仁親王(ありすがわのみやゆきひとしんのう 明暦2年3月15日(1656年4月9日) - 元禄12年7月25日(1699年8月20日))は、江戸時代の皇族。後西天皇の第2皇子、母は清閑寺共子。子に正仁親王、幸子女王(東山天皇中宮、承秋門院)、尊統法親王。世襲親王家の有栖川宮第3代当主。
寛文7年(1667年)に高松宮を継承、寛文12年(1672年)に有栖川宮と宮号を変更した。延宝8年(1680年)に将軍徳川家綱が継嗣のないまま死去した際に、大老酒井忠清に徳川将軍に擁立されたとする宮将軍擁立説がある(→江戸時代の宮将軍擁立説を参照)。
経歴
※月日は旧暦。
系譜
参考
- 有栖川宮家系
- 本朝皇胤紹運録
- (東園)基量卿記
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