明州
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本節では唐の開元年間から南宋の紹熙年間にかけて現在の中国浙江省寧波市一帯に設置された明州について述べる。
738年(開元26年)、唐により越州鄮県に明州が置かれた。742年(天宝元年)、明州は余姚郡と改称された。758年(乾元元年)、余姚郡は明州の称にもどされた。明州は江南東道に属し、鄮・奉化・慈渓・翁山の4県を管轄した[1]。
1194年(紹熙5年)、南宋により明州は慶元府に昇格した。慶元府は両浙路に属し、鄞・奉化・慈渓・定海・象山・昌国の6県を管轄した[2]。
1277年(至元14年)、元により慶元府は慶元路と改められた。慶元路は江浙等処行中書省に属し、録事司と鄞・慈渓・定海・象山の4県と奉化州・昌国州の合わせて1司4県2州を管轄した[3]。1367年、朱元璋により慶元路は明州府と改められた。
本節では南朝梁から隋にかけて現在のベトナムハティン省一帯に設置された明州について述べる。
南朝梁の武帝のとき、交州から交谷県を分割して明州が置かれた。605年(大業元年)、隋により明州は廃止され、驩州に編入された[4]。
本節では唐の武徳年間から貞観年間にかけて現在のベトナムハティン省一帯に設置された明州について述べる。
622年(武徳5年)、南徳州越裳県に明州が置かれた。明州は越裳・万安・明弘・明定の4県を管轄した。639年(貞観13年)、明州は廃止された[5]。
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