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香川県高松市の四国村にある異人館 ウィキペディアから
英国海軍軍艦 H.M.S.Iron Duke にて1873年10月27日に長崎に上陸した英国軍人ウィリアム・ダウン(William Down Sr.)[1]の自邸として1905年(明治38年)、神戸市の北野町に建設された木造2階建の西洋館である。外壁下見板張のコロニアルスタイルという、いわゆる異人館の様式である。
竣工年にウィリアム・ダウンが死去したため、ウィリアム・ダウンと結婚した長崎の丸勢兵太郎の娘、丸勢ワサという日本人女性の名前によりワサ・ダウン住宅として呼ばれるようになった。
1944年(昭和19年)から1975年(昭和50年)まで日本郵船の船員寮東棟として使用され(西棟は現みなと異人館)、このときまでに階段位置の変更など内部に改造が加えられている。日本郵船の寄贈により1976年(昭和51年)に現在地である四国村に移築され、神戸市の指導によって建設当初の姿に復元された。現在は1階を喫茶室「ティールーム 異人館」[2][3]、2階を事務室として活用されている。
なお、玄関前の羊飼像とガーデンテーブル・チェアは19世紀にハンプシャーのマナーハウスで使用されていたもので、ガス灯とポストはチェルシーで使用されていたもの。
四国村のワサ・ダウン邸はウィリアム・ダウンが亡くなった1905年に神戸・北野に建てられた家でワサが73歳で亡くなるまで住んでいたと云われる。ワサは熱心なキリスト教信者で洗礼名をモニカ(Monica)と称し、ウィリアムとの間に5人の息子と3人の娘をもうけた。ダウン・ファミリーは、日本の神戸・横浜・品川、また米国、カナダ、イギリス、オランダ、その他の国で存続している。
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