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滋賀県高島市新旭町深溝にある神社 ウィキペディアから
社僧家に伝わる「饗庭家文書」によると、保延4年に木津荘が山門千僧供領になった際、勧請されたという。応永15年に氏子の争議が起こり、氏子は当神社と現在の大國主神社に二分し、琵琶湖畔に遷座された。その後江戸時代初期まで両神社の例祭は、4月初申日に大國主神社で上の御前祭、4月初酉日に当神社で下の御前祭と称し、上郷(田井・五十川・上野・米井・辻澤・森)と下郷(深溝・霜降・小池・山形)の共同で行われていた。遷座の後は、比叡本荘の鎮守として崇拝を受けた。なお、琵琶湖の増水により度々鎮座地が遷されている。宝徳3年(1451年)の「二宮神田帳」での宮敷地は9反歩あった。鳥羽院より神領として比叡本荘を賜ったとされる。応永29年(1422年)の『木津荘検注帳』にも「二宮」として記載されている。
室町時代の土豪饗庭三坊のひとり定林坊播磨を初代とする定林坊家が社僧家として奉仕してきた。定林坊家は明治の神仏分離に際して饗庭家を名乗った。現在は大國主神社社家が神職を勤めている。
重要な祭礼は、神職、巫女、5人の宮総代、鬼子母善神堂世話人代表、16人の年行事で行われる。このうち年行事は、任期4年で各年次「長男」から「四男」と呼ばれる4人の男性で構成され、1年目を前見習い、2年目を見習い(前役)、3年目を本役、4年目は一年目客人、5年目は二年目客人と呼ぶ。4年目・5年目は、「お礼奉公」とも呼ばれる。また、年行事を勤めた者が宮総代になることができ、年行事と宮総代を経験した者が長老(鬼子母善神堂の世話人)になる資格ができるという決まりがある。なお、長老は13人の定数となっている。
(境内末社)
(境外末社)
(境外摂社)
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