持明院 家定(じみょういん いえさだ)は、鎌倉時代前期から中期にかけての貴族。権中納言、持明院家行の長男。官位は正四位下・左近衛中将。 概要 凡例持明院家定, 時代 ... 凡例持明院家定時代 鎌倉時代前期 - 中期生誕 不詳死没 建長3年(1251年)官位 正四位下、左近衛中将主君 後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇氏族 持明院家父母 父:持明院家行、母:藤原定能の娘兄弟 家定、基長、別当典侍、藤原頼経室妻 藤原行頼の娘子 基盛、基直、最善、守円テンプレートを表示閉じる 経歴 嘉禄元年(1225年)左近衛少将に任ぜられる。嘉禄3年(1227年)6月28日、近衛長子の行啓に供奉した[1]。貞永2年(1233年)正月24日:播磨守を兼ね[2]、後に左近衛中将に昇任。 建長3年(1251年)卒去[3]。最終官位は正四位下・左近衛中将[3][4]。 系譜 父:持明院家行 母:藤原定能の娘 妻:藤原行頼の娘 男子:持明院基盛(?-1277) 生母不明の子女 男子:持明院基直 男子:最善 男子:守円 脚注 [1]『民経記』嘉禄3年6月28日条。[2]『民経記』貞永2年正月25日条。[3]『持明院家譜』家定。[4]『尊卑分脈』頼宗公流。参考文献 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年Wikiwand - on Seamless Wikipedia browsing. On steroids.