持明院基久
安土桃山時代から江戸時代初期の公家。従四位上・左近衛権中将。大坂夏の陣、天王寺・岡山の戦いで戦死。持明院家17代 ウィキペディアから
経歴
権大納言・正親町季秀の子として誕生。権中納言・持明院基孝の養子となる。養妹に基子[3]がいる。
公家の身分でありながら、子・基征と共に大坂の陣に参加し大坂城に入城し、最終決戦の天王寺・岡山の戦いで戦死した。また一説には落ち延びたが同年5月28日に没したともいわれている。
脚注
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