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『憂いもなく』(うれいもなく、ドイツ語: Ohne Sorgen!)作品271は、ヨーゼフ・シュトラウスが作曲したポルカ・シュネル。演奏時間はおよそ2分。
1869年の夏、ヨーゼフは兄のヨハン・シュトラウス2世とともにパヴロフスクに赴き、駅舎でのコンサートを交代で指揮した。兄ヨハン2世は1869年のロシア訪問を最後にして、パヴロフスクのコンサートの指揮をヨーゼフに完全に引き継がせたいと考えていた。しかし、当のヨーゼフはこの頃体調が優れなかった。9月10日(ロシア暦8月29日)、ヨーゼフはウィーンに残してきた妻カロリーネへの手紙の中で、次のように嘆いている。
「 | ぼくはとても元気には見えない。顔色も悪くなってきたし、頬もこけてきた。髪の毛もよく抜ける。全体的に体調が悪いのだ[1]。(来年)契約されるかどうかも分からない。不安な気持ちでいるから、なおいっそう病気も進むし、欲求不満になる[1]。 | 」 |
同時期、ヨーゼフはさらにこう述べている。「疲れきった心でぼくはポルカ2曲を適当に作った」と。適当に作ったというポルカ2曲がどれに該当するかは分かっていないが、このポルカ『憂いもなく』は1869年9月22日(ロシア暦9月10日)にパヴロフスクで初演されたものであり、妻に手紙を宛てた時期と一致する。ややノイローゼ気味になっていたヨーゼフは、希望をこめてこの『憂いもなく』という楽天的な題名で曲を作ったのだと考えられている。題名だけではなくその内容も楽天的なものであり、演奏途中の中間部とコーダの部分で楽団員の「アッハッハ!」という笑い声が入る演出が盛り込まれた陽気な曲となっている。
開催年 | 指揮者 | 備考 |
---|---|---|
1945年 | クレメンス・クラウス | |
1948年 | クレメンス・クラウス | |
1952年 | クレメンス・クラウス | |
1956年 | ヴィリー・ボスコフスキー | |
1960年 | ヴィリー・ボスコフスキー | |
1964年 | ヴィリー・ボスコフスキー | |
1966年 | ヴィリー・ボスコフスキー | |
1970年 | ヴィリー・ボスコフスキー | |
1977年 | ヴィリー・ボスコフスキー | |
1981年 | ロリン・マゼール | |
1987年 | ヘルベルト・フォン・カラヤン | |
1994年 | ロリン・マゼール | |
2001年 | ニコラウス・アーノンクール | |
2006年 | マリス・ヤンソンス | |
2014年 | ダニエル・バレンボイム |
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