恵解山古墳
ウィキペディアから
ウィキペディアから
恵解山古墳(いげのやまこふん)は、京都府長岡京市勝竜寺・久貝にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定され(史跡「乙訓古墳群」のうち)、出土品は京都府指定有形文化財に指定されている[1]。2003年(平成15年)から2013年(平成25年)まで調査及び保存整備が行われ、2014年(平成26年)に恵解山古墳公園となった。
恵解山古墳 | |
---|---|
墳丘全景(右に前方部、左奥に後円部) | |
所在地 | 京都府長岡京市勝竜寺・久貝 |
位置 | 北緯34度54分52.3秒 東経135度41分51.3秒 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長120m |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 鉄製武器類、円筒埴輪、形象埴輪 |
築造時期 | 5世紀 |
史跡 |
国の史跡「恵解山古墳」 (「乙訓古墳群」に包含) |
有形文化財 | 出土品(京都府指定文化財) |
地図 |
京都盆地から大阪平野に通じる狭隘部で、桂川、宇治川、木津川の合流点東北の平野部に位置する。京都府南部の乙訓地域最大の古墳である。全長約128m、後円部直径約78.6m、高さ約10.4m、前方部幅約78.6m、高さ10.4mを測る。幅30mの周濠を持つ。埴輪列と葺石が確認されている。5世紀の前半の築造と推定されている。後円部が以前より墓地となっており、内部主体は失われているが、竪穴式石槨と推定されている。1980年(昭和55年)に墓地が他の墳丘部分へ拡張されることになり、長岡京市教育委員会が事前調査を行った。
本能寺の変の後、豊臣秀吉と明智光秀が戦った山崎の戦いにおいて光秀の本陣が置かれた可能性がある[2]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.