恩賜の軍刀

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恩賜の軍刀

恩賜の軍刀(おんしのぐんとう)とは、大日本帝国陸軍大日本帝国海軍軍学校(特に、陸軍大学校〈陸大〉)において、成績優秀な卒業生に授与された軍刀のこと。

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刀袋に入れた恩賜の軍刀を持つ1930年代前半の陸軍大学校上位卒業者6名(最左の「首席」1名と「優等」5名)。なお、左腰に佩用している軍刀は、各人が元より所有しているもの。

軍刀に加え、短剣・長剣・時計・望遠鏡・双眼鏡などを含めて恩賜品と総称する。ほかに上官が部下などに贈る頒恩賜(わかつおんし)の品もある。

本記事では、「恩賜の軍刀」に限定せず、帝国陸海軍の軍学校における恩賜品について述べる。

概要

陸大における「恩賜の軍刀」

軍刀の(ハバキ)の部分に「御賜」(「恩賜」ではない)の刻印があることが「恩賜の軍刀」の名称の謂れである。

陸大の「恩賜の軍刀」は、第7期1891年〈明治24年〉11月28日卒業、卒業時9名)の卒業席次上位3名に、明治天皇から軍刀が下賜されたのが最初である(第1期−第6期は望遠鏡)[1]

その後、陸大の期ごとの人数が50名-60名で推移するようになると[2]、卒業席次上位6名に「恩賜の軍刀」が授与されるのが例となり、この6名が「軍刀組」「恩賜組」と呼ばれた。

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御賜の製図用セット

各学校の恩賜品

陸大の「恩賜の軍刀」が著名であるが、陸軍砲工学校高等科でも同じく軍刀が授与され[3]

であった。

※ 各学校とも、授与される人数、恩賜品には変遷がある。

上記はいずれも将校士官を対象とする軍学校であるが、陸軍の空中勤務者養成課程である陸軍飛行学校海軍の下士官兵搭乗員養成過程である飛行練習生/偵察練習生[10]でも、成績優秀者に銀時計が授与されている。

陸士航士陸大海大では大元帥たる天皇行幸し、自らが侍従武官・校長経由で恩賜品を授与したが、遠隔地にある海兵、および他の学校では皇族侍従武官が代理を務めた。

「恩賜組」の一覧

※ 卒業者名の下の階級は卒業時、括弧内は陸士の卒業期と最終階級。

さらに見る 卒業期, 卒業年月 ...
卒業期 卒業年月 首席 優等 優等 優等 優等 優等
1期 1885年12月 東條英教

歩兵大尉 (中将)

仙波太郎

歩兵中尉 (陸士旧2、中将)

山口圭蔵

歩兵中尉 (陸士旧3、少将)

2期 1886年12月 渋谷在明

騎兵大尉 (陸士旧2、中将)

榊原忠誠

歩兵中尉 (陸士旧3、歩兵少佐)

3期 1887年12月 松川敏胤

歩兵中尉 (陸士旧5、大将)

恒吉忠道

歩兵中尉 (陸士旧5、少将)

児島八二郎

歩兵中尉 (陸士旧5、少将)

4期 1888年11月 内山小二郎

砲兵大尉 (陸士旧3、大将)

大沢界雄

歩兵中尉 (陸士旧4、中将)

5期 1889年12月 小原伝

砲兵大尉 (陸士旧5、中将)

立花小一郎

歩兵中尉 (陸士旧6、大将)

6期 1890年12月 星野金吾

砲兵大尉 (陸士旧5、中将)

山田義三郎

歩兵中尉 (陸士旧5、歩兵少佐)

松石安治

歩兵中尉 (陸士旧6、中将)

宇都宮太郎

歩兵中尉 (陸士旧7、大将)

7期 1891年11月 由比光衛

砲兵中尉 (陸士旧5、大将)

蠣崎富三郎

歩兵中尉 (陸士旧6、中将)

梶川重太郎

歩兵中尉 (陸士旧7、歩兵少佐)

8期 1892年12月 河村秀一

騎兵中尉 (陸士旧8、少将)

大庭二郎

歩兵中尉 (陸士旧8、大将)

橋本勝太郎

歩兵中尉 (陸士旧8、中将)

佐伯運之祐

歩兵中尉 (陸士旧8、歩兵少佐)

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脚注

参考文献

関連項目

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