広瀬・寺町
広島市中区の地名 ウィキペディアから
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広島市中区の地名 ウィキペディアから
旧太田川(本川)が寺町の北東の箇所を三角州の頂点として天満川と旧太田川(本川)に分岐し、寺町の西に広島市道横川江波線(国道183号重複)が通り、その西に広瀬北町、広瀬北町の南に広島市道中広宇品線を挟んで広瀬町。西に天満川を挟んで西区中広町、寺町の北側は天満川を挟んで横川町、寺町の南、広瀬町の東に十日市町、その東に旧太田川(本川)を挟んで広島市中心部の中区基町。広島市中央公園や広島城、その南のそごう広島店や本通商店街なども遠くない。
広島城築城の頃、市街地はまだ多くの部分が埋め立てられておらず、この地区は広く瀬が続いていたことから広瀬と呼ばれた。その後広瀬村となり、明治以降は広島市広瀬村となった。広瀬村のうち南側に位置する地域を広瀬町、北側に位置する地域を広瀬北町とした。
寺院が多く集まっていることに由来する。本願寺広島別院など浄土真宗の寺院が多くある。旧太田川を挟んだ対岸はかつての広島城内に相当し、旧太田川を天然の外堀としていた広島城の防衛の意図もあり、この地に多くの寺院が集中している。
広島城築城当時、藩内の本寺と呼ばれる藩内30数ヶ寺の寺院の一部が、藩命により寺領を没収されこの場所へ強制移転される。本寺が管理する門徒台帳による藩内の人員管理や、寺院移転に伴い新開地であった城下に門徒を移入させる城下発展の狙いがあったと言われる。中でも仏護寺(現本願寺広島別院)は藩と密接な関係があり、藩の保護を受けていたといわれる。寺町の一部の本寺は藩政にも関わっている記録が残る。
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