平野長祥

日本の明治時代初期~昭和時代前期の男爵・政治家・実業家。大和田原本藩主平野長裕長男で、旧交代寄合表御礼衆平野氏11代当主 ウィキペディアから

平野長祥

平野 長祥(ひらの ながよし、1870年1月4日明治2年12月3日[1][2])- 1934年昭和9年)5月7日[1][3])は、明治から昭和戦前期の政治家華族貴族院議員、男爵。幼名・亀松丸[1]

平野長祥

経歴

大和田原本藩藩主平野長裕の長男として生まれた[1][4]。父が明治5年(1872年)に28歳で没したため同年8月18日(新暦9月20日)家督を継ぎ[1][2]1884年(明治17年)7月8日に男爵を叙爵した[1][4][5]学習院を卒業し、東京海上保険加島銀行に勤務ののち、富山護王銀行の専務、有隣生命保険取締役[6]となった。

1897年(明治30年)7月10日、貴族院議員となり[4][7]1919年(大正8年)男爵議員により結成された院内会派公正会の設立時の幹事長9名のうちの1人となった。1925年(大正14年)7月9日、任期満了で貴族院議員を退任[3]。1929年(昭和4年)12月7日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[8]、公正会に所属し死去するまで在任した[3]

親族

栄典

脚注

参考文献

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