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日本の短距離走選手、コーチ (1957 - 2022) ウィキペディアから
川本 和久(かわもと かずひさ、1957年12月5日[1] - 2022年5月11日[2])は、日本の陸上競技指導者。福島大学人文社会学群人間発達文化学類教授。福島大学陸上競技部監督。東邦銀行陸上競技部監督。日本陸上競技連盟女子短距離部長。
これまで教え子たちが樹立した日本記録は、リレーなども含めて51回。日本選手権は65勝。オリンピック・世界選手権などの日本代表は26名。日本インカレでは2連勝。雉子波秀子(現二瓶)、池田久美子(現井村)、丹野麻美(現千葉)、吉田真希子、久保倉里美が日本記録を更新している[3]。
1957年佐賀県伊万里市生まれ。1970年伊万里市立山代西小学校卒業。1973年伊万里市立山代中学校卒業。1976年佐賀県立伊万里高等学校卒業。1980年筑波大学体育専門学群卒業。1982年筑波大学大学院修士課程体育研究科コーチ学専攻修了、体育学修士。2009年福島県立医科大学大学院医学研究科博士課程修了、博士(医学)[4]。
1984年、26歳で福島大学教育学部助手[3]。その後、同大学の助教授を経て教授に就任。
1991年、文部省在外研究員として、カナダのヨーク大学、アメリカのヒューストン大学に留学。ヨーク大学では、カナダに移住していたポーランド人コーチ、ゲラルド・マックに出会い、日本で広く流布していた「マック式」の腿上げ走法「腿を上げて膝を伸ばす」が誤りで、「脚を早く引き上げて強く蹴る」が正しいことを知った。さらにリロイ・バレル、カール・ルイスを輩出したヒューストン大学では、トム・テレツのもとで学んだ[3]。
2001年、エドモントン世界選手権日本選手団女子短距離コーチに就任。2002年、福島県体育協会優秀指導者賞を受賞。2003年、パリ世界選手権日本選手団コーチに就任。
ほかに、彩の国まごころ国体秋季大会福島県選手団陸上競技男子監督、福島県エアロビック連盟顧問、福島県体育協会スポーツ医・科学委員、福島陸上競技協会普及部長、福島県スポーツ振興審議会委員、東北学生陸上競技連盟評議員、東北学生陸上競技連盟強化委員会副委員長、福島陸上競技協会理事、新世紀・みやぎ国体福島県選手団陸上競技監督などの要職を歴任している。
2011年3月に福島第一原子力発電所事故が起きた際には、すぐに福島大の現役・OB・OGたちを沖縄へ合宿に出発させ、自身はグラウンドの除染を行った[3]。
2020年春に膵臓がんの診断を受けて闘病を続けていたが[5]、2022年5月11日に膵臓がんで死去したことが福島大学より発表された[2][6]。64歳没。死没日付をもって正四位に叙され、瑞宝中綬章を追贈された[7]。
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