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岩田 将貴(いわた まさき、1998年6月16日 - )は、福岡県福岡市博多区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。
福岡市立吉塚小学校1年で「吉塚クリッパーズ」に入団しソフトボールを始める[2]。福岡市立吉塚中学校時代に「福岡ボーイズ」で硬式野球に転向[3]。3年時には野茂英雄率いるジュニア選抜チーム「NOMOジャパン」に選出された[4]。NOMOジャパンの同期に高山優希、藤嶋健人がいる。
九産大九州高校では1年夏からベンチ入りすると[5]、2年春には第87回選抜高等学校野球大会に出場。初戦の近江高校戦に先発し、8回2失点と好投するも、敗戦投手となった[6]。2年夏は福岡大会3回戦の福岡大大濠高校戦で浜地真澄に本塁打を打たれるなど2失点、チームは浜地の前に3安打完封負けを喫し、敗退した[7]。3年夏は福岡大会4回戦で八女工業高校に敗れた[2]。
九州産業大学に進学すると、1年春からリーグ戦に登板[5]。2年春に防御率1.44[8]、リーグ最多の7勝を挙げMVPを獲得した[5]。しかし、同リーグ戦で左肘を痛め、同年の全日本大学野球選手権にも出場するが状態は上がらず、8月に左肘の遊離軟骨除去手術を受けた[8]。3年春のリーグ戦で復帰するが[8]、同年8月に2度目の手術となる左肘のトミー・ジョン手術を受けた[9]。4年秋からリーグ戦に復帰し、10月24日の九州共立大学戦では2番手で登板すると、2回2/3を無安打無失点に抑えて優勝を決め、胴上げ投手となった[10]。九州大学野球選手権では決勝の日本文理大学戦で7回一死二塁から登板して後続2人を抑え、チームは2-1で優勝を決めた[11]。3学年上に井手亮太郎、1学年上に福森耀真、石田駿がいる。
2020年10月26日に行われたドラフト会議では、阪神タイガースから育成1位指名を受け[12]、支度金200万円、年俸300万円(金額は推定)という条件で、育成選手として入団した[13]。背番号は122[14]。この年まで、アマスカウトとして九州地区を10年間担当してきた田中秀太が、スカウティングや入団交渉を最後に手掛けた選手でもある[15]。
2021年は、ウエスタン・リーグで8試合に登板し、2勝0敗、防御率2.70の成績を残した[16]。
2022年は、オープン戦から一軍に帯同し、5試合に登板して防御率2.08を記録した[17]。開幕前の支配下登録は叶わなかったが、7月25日までにウエスタン・リーグで30試合に登板[17]。6月25日の対広島東洋カープ戦から10試合連続無失点の好投をみせるなど2勝1敗、防御率2.08の成績を残し、同日に支配下選手登録されることが発表された[18][17]。背番号は93[17]。
2023年は二軍でチームトップの44試合に登板するも、防御率4.85と結果を残せず、一軍登板を果たすことはできなかった。
2024年は二軍で前年を上回る46試合に登板し防御率2.11という成績であったが、一軍登板はなかった[19]。10月1日に戦力外通告を受けた[20][19]。
2024年11月16日、横浜DeNAベイスターズが獲得を発表した[21]。背番号は68。
独特の投法で知られる[22]。背中をひねった後に、右足を内側へ大きく踏み出すインステップのトルネード投法を彷彿とさせる変則サイドスロー[23][5][12]から、最速139km/hのストレートと7種類のスライダーを投げ分ける[3][24]。その特性上、対左打者用の起用が多い。本人によれば、2013年にボーイズリーグ日本選抜チームの一員としてロサンゼルスへ遠征した際に、チームの代表だった野茂英雄から投球フォームに関するアドバイスを直々に受けたという[23]。
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