岩元禧

日本の内務官僚 ウィキペディアから

岩元禧

岩元 禧(いわもと き、1879年明治12年)7月2日[1] - 1944年(昭和19年)9月14日[2])は、日本内務官僚。官選沖縄県知事鹿児島市長

Thumb
岩元禧

経歴

鹿児島県出身。士族の四男として生まれる。第七高等学校の第1回卒業生。1908年(明治41年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、同年に高等文官試験に合格した[3]内務省に入り、千葉県属、秋田県事務官神奈川県理事官視学官香川県警察部長島根県内務部長、茨城県内務部長を歴任[1][3]1923年大正12年)から翌年まで沖縄県知事を務めた。1926年(大正15年)6月23日、休職満期となり退官した[4]

國學院大學皇典講究所専務理事を経て、1933年(昭和8年)から1936年(昭和11年)まで第10代鹿児島市長を務めた。

著書

  • 『皇祖発祥聖蹟』(1940年、鹿児島史談会)

親族

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.