山本 主殿(やまもと とのも)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊臣秀次の家臣。 概要 凡例山本 主殿, 時代 ... 凡例山本 主殿時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 天正6年(1578年)死没 文禄4年7月15日(1595年8月20日)主君 豊臣秀次氏族 山本氏父母 父:山本主殿テンプレートを表示閉じる 生涯 父は同姓同名の山本主殿。織田信長に仕えた西岡十六党の1人で、細川藤孝に属して山城国淀城攻めに参加した人物である[1]。 豊臣秀次に仕え、文禄4年(1595年)7月に秀次事件が発生すると、小姓衆の1人として秀次に従って高野山に赴く。7月15日に秀次が自害する際、秀次に殉じて切腹し、秀次により介錯された[2]。享年18[3]。 脚注 [1]『細川家記』[2]『川角太閤記』[3]『太閤記』Wikiwand - on Seamless Wikipedia browsing. On steroids.