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1919-1986, 画家 ウィキペディアから
徳島県三好市に生まれる。1937年、香川県立工芸学校卒業。翌1938年に上京し、福沢一郎の絵画研究所に入る。
1944年から1949年まで東宝映画教育映画部に勤務[1]、この間、応召による戦場体験と1946年から1948年までの東宝争議を体験した。1946年、高山良策、大塚睦らと「前衛美術会」を結成。
1949年、美術文化協会の会員になるが、翌年、退会。以後、多くの会を結成、あるいは参加。また、日本共産党に入党し、山村工作隊にも参加した。
1952年、小河内村でのダム反対闘争に参加。以後、松川裁判、安保闘争、狭山裁判などに関与。兄の谷口董美も画家。新潮文庫の大江健三郎作品の表紙を描いた。1975年に、筋萎縮症と判断される。1986年、死去。
権力や差別、天皇制や庶民意識の問題と向かい合い、渾沌たる現実を超現実主義の方法で戯画化したり、探訪絵画を創案して、事件を紙芝居化するなど、その絵画は、戦後史の証言ともなる重要なものである。家の中で梟を飼っていた[2]。
代表作に《あけぼの村物語》(1953年)《見られぬ祭》(1965年)《葬列》(1967年)《転化期》(1968年)などがある。
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