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884-968, 平安時代中期の公卿。小野葛絃の子。異名は野大弐。官位は従三位・参議。勅撰集『後撰和歌集』以下に6首入集 ウィキペディアから
小野 好古(おの の よしふる)は、平安時代前期から中期にかけての公卿・歌人。参議・小野篁の孫で、大宰大弐・小野葛絃の次男。弟に三蹟の一人小野道風がいる。異名は「野大弐」。官位は従三位・参議。
讃岐権掾・春宮権少進を経て、延喜22年(922年)従五位下・右京亮に叙任される。のち、醍醐朝後期に大蔵少輔・中宮大進を務める。
朱雀朝に入ると、延長8年(930年)右衛門権佐、承平8年(938年)右近衛少将と武官を歴任し、承平2年(932年)従五位上、天慶2年(939年)正五位下、天慶4年(941年)従四位下と昇進する。この間、天慶2年(939年)に発生した藤原純友の乱を鎮圧するために、天慶3年(940年)追捕山陽南海両道凶賊使長官として九州へ下向。追捕使判官・藤原慶幸、主典・大蔵春実らと共に、大宰府を襲撃した藤原純友軍を博多津にて撃退している。天慶5年(942年)文官の左中弁に遷るが、天慶8年(945年)大宰大弐として地方官に転じた。
村上朝初頭の天暦元年(947年)参議に任ぜられ公卿に列すが、引き続き大宰大弐を兼帯し天暦3年(949年)末までこれを務めた。その後は議政官として讃岐権守・備中権守などの地方官を兼帯し、天徳2年(958年)正四位下に昇叙されている。天徳4年(960年)77歳にして大宰大弐に再任され、応和2年(962年)従三位に至る。
冷泉朝初頭の康保4年(967年)7月7日に致仕する。翌康保5年(968年)2月14日薨去。享年85。最終官位は致仕参議従三位大宰大弐。
勅撰歌人として、『後撰和歌集』(4首)『拾遺和歌集』(2首)に和歌作品が入首。また、大宰府にて曲水の宴を始めたとも伝えられる。
『公卿補任』による。
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