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小滝 透(こたき とおる、1948年9月27日 - )は、日本出身のジャーナリスト、ノンフィクション作家である。
盛岡市立桜城小学校卒、京都市立旭丘中学卒、京都市立紫野高校卒、金沢大学法文学部文学科中退、サウジアラビア王立リヤド大学文学部アラビック・インスティチュート卒、ノンフィクション作家。[1]主として、宗教、歴史、政治等をフィールドとする。第2回・第9回毎日21世紀賞を受賞[1]。これを契機に作家活動を始める。
金沢大学在学中は全共闘運動に参加。運動の終息期に師・築山力(蒙古善隣協会・興亜義塾モンゴル班三期生出身)に勧められ、イスラム青年同盟を結成。全共闘の友人らと共にアラブ・イスラーム世界に留学。小滝自身はサウジアラビアでアラビア語とイスラームを学ぶ。他の留学生はパキスタン、アフガニスタン、イラン、シリア、エジプト、ネパール等におもむき言葉と文化を学ぶ。帰国後は、一年間高野山専修学院(密道場)で修行僧として過ごす。それが機縁で、1991年に、エルサレムで開かれた国際体外受精学会の全体シンポジウムに招待され、仏教代表として参加(他にユダヤ教、キリスト教、イスラームの代表が参加)。
ちなみに、ライフワークはサハラ砂漠でのキャラバン行。1973年、初めてバイクで訪れたサハラ砂漠に惹かれ、その後繰り返しラクダによる塩のキャラバンに参加し、また実弟(檜・晶)と共にメッカを目指してラクダによるサハラ横断を敢行する。この内、サハラ最奥部の岩塩産地タウデニ(マリ共和国)へのキャラバン行は「本上まなみ・夢の旅――サハラの風に吹かれて(2005年1月4日)」としてテレビ放映(FNN)となっている。
政治運動に関しては、師・築山の遺訓を受け、内モンゴルの中国からの分離独立運動(内モンゴル独立運動)を支援し、モンゴル語・日本語のバイリンガル誌『ミニーノタグ(我が故郷)』を毎年発行、現在に至っている。趣味は将棋。三段の棋力を持つ。
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