小松暢
日本の編集者 ウィキペディアから
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小松 暢(こまつ のぶ、1918年 - 1993年11月)は、20世紀の日本の女性。漫画家・やなせたかしの妻で、結婚前は編集者を務めた。
大阪府大阪市に生まれる[1]。父は現在の高知県安芸市出身で、鈴木商店に勤務していた[1]。大阪で大阪府立阿部野高等女学校(現 大阪府立阿倍野高等学校)を卒業した[2]。
高知新聞社に入社して、『月刊高知』の編集者となる。1946年に高知新聞が、31人の応募者から採用した初の女性記者2人のうちの1人だった[1][2][3]。同じ部署にやなせがおり、それが二人の出逢いとなった[4]。やなせ自身の証言では、高知新聞でやなせの前の席が小松で、すぐに好きになったという[5]。
やなせによると、小松は「代議士の秘書になる」という理由で退社して上京し、その約1年後にそれを追うような形でやなせも東京に出て、二人は結婚した[5]。
漫画家を目指すやなせに小松は「なんとかなるわ。収入がなければ私が働いて食べさせるから」と話し、やなせも後年「仕事以外はすべてカミさんに頼っていた」と回想した[3]。
1993年11月、癌のため死去した[3]。
「ハチキンおのぶ」「韋駄天おのぶ」というあだ名があった[6]。非常に男勝りな性格で、女だと思って馬鹿にされたと思ったら「女だと思ってバカにするんじゃないわよ!」と反論し、また、雷が鳴ると「もっと鳴れ!」といったという。[要出典]
後述の連続テレビ小説『あんぱん』の脚本を担当する中園ミホによると、小松はやなせに「正義は逆転することがある。信じがたいことだが。じゃあ、逆転しない正義とは何か?飢えて死にそうな人がいれば、一切れのパンをあげることだ」という言葉で励ましていたという[6]。家庭ではやなせから「おぶちゃん」と呼ばれていた[7]。
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