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日本の鎌倉時代中期の武将。太宰大監平知宗の子で、宗氏初代当主。対馬国主 ウィキペディアから
宗 重尚(そう しげひさ)は、鎌倉時代の武将。宗氏初代当主。
父は平知宗とされ、所伝では平知盛の子・知宗は元暦2年/寿永4年(1185年)の壇ノ浦の戦い後、惟宗氏に養われたとし、桓武平氏であると称していた。実際は島津氏と同じく惟宗氏の出身だといわれる。
寛元3年(1245年)、対馬国の阿比留親元が反乱を起こしたため、これを討つために筑前国より対馬に入島した。翌寛元4年(1246年)に阿比留氏の反乱を平定し、対馬の国主となったとされる。近年の研究では、その存在が疑問視されている。
韓国の黄白炫(ファン・ベクヒョン)は、宗重尚は朝鮮半島・釜山出身で元の姓は宋であったと主張している。[1]
この研究によれば重尚の墓が存在しないのは(後世の創作による人物だからではなく)遺体を出身地の釜山に移送したためであり、重尚の墓は釜山のいずれかにあるとしている。
現実には重尚の墓は木武古婆神社に現存している。
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