安原王
高句麗の王 ウィキペディアから
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安原王(あんげんおう、501年 - 545年)は、高句麗の第23代の王(在位:531年 - 545年)。姓は高、諱は宝延(『三国遺事』王暦では宝迎)。先代の安臧王の弟であり、父は第21代の文咨明王。『魏書』や『梁書』には「延」の名で現れる。531年に先王の死去の際に、嗣子がいなかったために宝延が王位に就いた。
長寿王以来の伝統となっているように、中国の南北朝両面に対して朝貢を続けた。北魏からは532年に<使持節・散騎常侍・領護東夷校尉・遼東郡開国公・高句麗王>に冊封され、北魏が東魏に代わった後に534年には<驃騎大将軍>号を加えられた。梁からは、安臧王代の爵号である<寧東将軍・都督営平二州諸軍事・高句麗王>をそのまま引き継いだ。
半島内での交流については、540年9月に百済が攻め入ってきて牛山城を包囲したことと、このときに精兵5千を派遣してこれを撃退させたこととを伝えるのみである。
在位15年にして545年3月に死去し、安原王と諡された。『三国史記』には埋葬地については記述がない。また、『梁書』には「太清2年(548年)に安原王が死去してその子(陽原王)を<寧東将軍・高句麗王・楽浪公>とした」とあるが、『三国史記』はこの『梁書』の記事を誤りとしている。
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