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江戸時代後期の三都の風俗、事物を説明した百科事典 ウィキペディアから
守貞謾稿(もりさだまんこう、守貞漫稿とも)は、江戸時代後期の三都(京都・大阪・江戸)の風俗、事物を説明した一種の類書(百科事典)である。著者は喜田川守貞(本名・北川庄兵衛[1])。起稿は1837年(天保8年)で、約30年間書き続けて全35巻(「前集」30巻、「後集」5巻)をなした。刊行はされず稿本のまま残されたが、明治になってから翻刻された。1600点にも及ぶ付図と詳細な解説によって、近世風俗史の基本文献とみなされている。
著者・喜田川守貞(きたがわ もりさだ)に関しては未詳の事項も多い。本人が守貞謾稿に「概略」として記した記事には、彼は1810年(文化7年)6月に浪華に誕生、当時は石原姓を名乗ったが、1837年(天保8年)に江戸・深川に下り、後、1840年(天保11年)9月(数え31歳)に北川家の嗣子となったとある。その後もしばしば江戸・大坂間を往還したらしい。別名喜田川季荘(きたがわきそう)。また、現代の研究では通称は庄兵衛、号は月光庵であったと考えられている。嘉永6年(1853年)の序文によると、商人であるが、一生を空しく過ごすのは残念であるとの思いから一書を著そうと思い立ち、民間の雑事を記録することにした、という[1]。
守貞は30歳近くなって初めて江戸に移り、その事物習俗が京・大坂と余りに異なるのに驚き、また絵心もあったので写生なども交え稿を重ねていったという。ただし、「京阪」と記していても、著者は京都に暮らしたことはないので、もっぱら大阪のことである、と述べている[1]。
全35巻の構成は以下の通り(下記各巻リンクは『類聚近世風俗志』の名で活字版化されたのもの。原本は外部リンクを参照)。
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
以下のような点がこの守貞謾稿を一級の資料として特徴付けており、今日の読者にとっても示唆に富む。
本書は、『類聚近世風俗志』の書名で、1908年に東京の國學院大学出版部から、1934年に京都の更生閣書店から再出版されている。文字は活字に変更され、挿絵は原本を模写したものでやや稚拙になっている(一部割愛も)。
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