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宇都宮 泰藤(うつのみや やすふじ、生年不明 - 正平7年3月19日(1352年5月3日)[1])は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての武将。大久保氏の遠祖。
武茂時綱の子として生まれる。左近将監と称す。新田義貞の重臣。妻は美濃国里見城城主の土岐伊予守頼直の娘徳子。建武2年(1335年)、脇屋義助に属して京都の山崎において、足利尊氏と戦って敗北した。翌建武3年(1336年)、新田義貞に従って越前国(現・福井県)に逃れており、再び足利方の高師泰らと戦っている。その後、延元3年(1338年)8月17日に新田義貞が越前国藤島で戦死すると、義貞の首を持ちながら各地を転々と彷徨った後、その首を葬ってから出家、法華宗に帰依して美濃将監、宇都宮入道蓮常と号した。三河国上和田郷(現・愛知県岡崎市)の妙国寺前に移り住んだ。正平7年(1352年)、51歳で病没した。法名は蓮常。泰藤の子には泰綱、泰朝、藤綱がいた。泰綱の子である泰道の時に姓を宇津と称す。また、泰朝の子である高正は神谷氏の祖とされる。藤綱は朝岡氏の祖とされる。
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