奥間レスト・センター
沖縄県国頭村にある米軍保養施設 ウィキペディアから
沖縄県国頭村にある米軍保養施設 ウィキペディアから
奥間レスト・センター(おくまレストセンター)は、沖縄県国頭郡国頭村に位置する約0.55km2の在日米空軍が管理する米軍保養施設 (FAC6004)。 赤丸岬の全体を占有し、東京ドームのグラウンドの42個分に相当する面積に総合的なレジャー施設を備えている。施設管理は米空軍となっているが、米軍の福利厚生施設であるため、沖縄の全米軍が使用する福利厚生施設となっている。
使用部隊
米空軍による奥間レストセンターの広報 (英語版) によると、沖縄戦後、高齢の土地所有者7人にマッギー中佐なる人物がポケットマネーを追加し50ドルという「公平な金額」を支払った、「これが町長たちを喜ばせた」、人々は日本の本土に働きに行くことを拒み、積極的に奥間の建築作業に参加した等が紹介されているが[4]、実際には、登録されている土地所有者が高齢者の7人のみということはありえない。 (2018年時点での地主数は513人[5]) 北部やんばるで圧倒的な餓死者を生み出した沖縄戦から2年後の1947年と1948年、米軍が北部の数少ない平地の良質な農耕地を保養施設として接収した際、国頭村と大宜味村の村長は村民1266名の署名をもって連名で嘆願書を書き、農地接収に強く抗議している[6]。1946年頃まで多くの県民が収容所に収容され、また那覇をはじめとして中南部の土地が基地として接収されていたため、人々の食糧問題は極めて深刻であった。
奥間休養中心地に定められた地域はその位置及び農耕地としての観点から我々の村の最も有益な土地であります。平常の収穫年には、この地域は甘藷年4万ポンドを生産するのであります。この地域の生産物の中の甘藷(読み取り不明)類で、わが村だけでなく大宜味村も生活していたのであります。スイカ、トマト、キャベツ、サトイモ等の新鮮野菜が東京及び阪神地区の遠くまで輸出されておりました。この理由で当地は沖縄のデンマークなりと呼ばれておったのであります。なお、この土地は砂地で高い地温があり、春の間、自然熱の苗床だと言われている程で、春季には甘藷の収穫は他の土地より大量であります。しかしながら現地軍が1947年にこの土地に休養中心地を設定した時、それはこの特別地区に頼っておった農民たちにとっては全くの打撃であったのであります。そのとき村は村民から甘藷を集めて、それを農民たちに配給して援助することができたのでありましたが、我々はまたまた1948年5月1日までに純農耕地22エーカーを明け渡すようにとの命令を受けました。その結果、生活恐慌がその土地に関係している310家庭の1266名の人々の50%に急にもたらされたのであります。そして現在の食料事情では我々はもはや甘藷を集めて彼等を援助することはできない立場にあります。そして我々は社会政策の見地において、この問題について非常な関心を持つものであります。貴官の特別なるご配慮とご同情を二カ村の村民の嘆願書に垂れんことを懇請する次第であります。この全制限地域の解放に対する即刻の認可を、国頭、大宜味村1266名の署名をもって願いあげます。 — 歎願の代表者 国頭村長 新里尊福 大宜味村長 平良仁一、1948年4月18日
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