奥村 恭平(おくむら きょうへい、1886年〈明治19年〉11月3日[1] - 1970年〈昭和45年〉12月4日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。タンクの訳語として「戦車」を考案した人物である。
経歴
1886年(明治19年)、山口県生まれ[1]。陸軍士官学校第21期卒業[2]。1934年(昭和9年)に輜重兵第8大隊長に就任[3]、1936年(昭和11年)6月1日に輜重兵第8連隊長に転じ[3]、8月1日に陸軍輜重兵大佐に進級した[3]。12月5日には自動車第2連隊長に転じた[3]。
1939年(昭和14年)8月1日に陸軍少将に進級し[3]、輜重兵監部附となった[1]。1940年(昭和15年)に中支那野戦自動車廠長に就任し、中国大陸に出動[1]。1941年(昭和16年)12月に支那派遣軍兵器部長に転じ[1]、1943年(昭和18年)6月10日に東部軍司令部附となり[1]、6月20日に予備役に編入された[2]。
栄典
- 勲章
- 外国勲章佩用允許
脚注
参考文献
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