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長野県大町市大町にある曹洞宗の寺院 ウィキペディアから
天正寺(てんしょうじ)は、長野県大町市大町にある曹洞宗の寺院。山号は青龍山。中世の信濃国安曇郡領主仁科氏の城館跡に建立された。仁科三十三番札所の七番札所である。
天正寺 | |
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所在地 | 長野県大町市大町4729番地 |
位置 | 北緯36度30分22.91秒 東経137度51分12.26秒 |
山号 | 青龍山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 宝冠釈迦如来坐像 |
創建年 | 鎌倉時代 |
札所等 | 仁科三十三番札所・第7番 |
文化財 | 三重小塔(長野県指定有形文化財) |
法人番号 | 2100005007301 |
現在の本尊は明和4年(1767年)の銘のある宝冠釈迦如来坐像で、脇侍として文殊・普賢の両菩薩像があり、木食山居の作による聖観音立像や延命地蔵半跏像などがある。犬養毅の揮毫による「仁科城址」の碑がある。
山門は元禄元年(1688年)建立で往時の居館の大手門付近にあたり、城門様式による四脚門で「古城林」の扁額が掲げられている。位牌堂には仁科氏累代や歴代住職の位牌が収められている。
仁科氏の居館址は東西約170メートル、南北約110メートルで周囲に外堀が巡らせてあり、2つの廓を持っていた。遺構は大町市の史跡に指定されている。
鎌倉時代末期に同郡館ノ内(現・大町市社)から遷移し、戦国時代末期に滅亡するまで、約300年にわたって仁科氏の居館であった。開山は大鎮和尚。天正10年(1582年)に仁科氏が滅亡すると、遺臣や町衆達がその遺徳を偲び、菩提を弔うため、菩提寺の長性寺を居館跡へ移し、魏州太鎮和尚を開山として同12年(1584年)頃に創建した。山号は仁科盛政の法号「青龍寺殿」に由来する。
元和2年(1616年)に伽藍が焼失したが、寛永18年(1641年)に再建され、慶安2年(1649年)に江戸幕府より朱印10石を賜る。明治4年(1871年)に廃仏毀釈により廃寺となるが、明治15年(1882年)に永平寺61世久我環渓禅師によって再興され、爾来、同寺の末寺となる。
大町市大町北原町4729番地
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