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歌題の提示から当日まで1ヶ月の期間をおき、進め方や左右双方の衣裳、歌を書いた色紙を置く州浜(入り江などをかたどった飾り台)にいたるまで周到に準備されたもので、その典雅さなどで後世の歌合の手本となった。
3月初めに示された題は霞、鶯 、柳、桜 、款冬(山吹)、藤、暮春、首夏、郭公(ほととぎす)、卯花、夏草、恋の12。鶯、郭公が各2、桜が3、恋が5の計20番で戦われた。判者(はんじゃ:勝敗を決める役)は左大臣藤原実頼、その補佐に大納言源高明(たかあきら)、講師(こうじ:歌を読み上げる役)は左方・源延光、右方・源博雅、方人(かたうど;応援する役)には女房たちが左右に分かれ、それぞれ左方は赤(朱)、右方は青(緑)を基調に衣裳を揃えるなど趣向を凝らしたものであったという。
当日は午後早くから会場となる清涼殿の準備が始まったが、左方の州浜の参上が遅れ、歌合が始まったときはすでに日が暮れていたといわれる。歌合は夜を徹して行われ、左方の10勝5敗5引き分けで終わった。歌合のあと管弦の遊びが催され、退出は翌朝のことであった。
1.霞
2.鶯
3.鶯
4.柳
5.桜
6.桜
7.桜
8.款冬(山吹)
9.藤
10.暮春
11.首夏
12.卯花
13.郭公(ほとゝぎす)
14.郭公
15:夏草
16:恋
17.恋
18.恋
19.恋
20.恋
三番の鶯の歌のとき、右方の講師である源博雅は誤って四番の柳の歌を読み上げてしまった。左方の方人から指摘があり、改めて鶯の歌を読み上げることとなったが、恥じ入る余り顔面蒼白となり、声も震えてうまく読めなかったという。
二十番の勝負において判者の実頼は優劣を付けられず、持にしようとしたが、帝から勝敗を付けるようにとの仰せがあった。実頼は補佐の高明に決めてもらおうとしたが高明は平伏して何も言わない。実頼は窮したが、その時帝が「しのぶれど」と兼盛の歌を口ずさんでいるのを高明が聞きつけ、実頼に伝えた。それでようやく実頼も決心が付き、右方の勝ちと判定を下した。その間、左右の講師はずっと歌を読み上げ続けていた。
卑官だった壬生忠見は、出世を懸けて詠んだ歌が接戦の末に負けたことを悲観してその後食べ物を受け付けなくなり、そのまま死んだという逸話もあるが、その後の晩年の歌も残っている。
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