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奈良時代または平安時代に活動したとされる伝説上の刀工 ウィキペディアから
天国は日本刀剣の祖とされるが[1]、その出身、経歴には謎が多く、大宝年間の大和国の人とも、平安時代後期の人とも、複数人存在したとも言われ、諸説あるものの、実在の人物であるかどうかは定かではない。鎌倉時代の日蓮は「此の太刀はしかるべき鍛冶作り候かと覚へ候。あまくに(天国)、或は鬼きり(鬼切)、或はやつるぎ(八剣)、異朝には干将莫耶が剣に争でかことなるべきや。」(弥源太入道殿御返事)と記述しており名工として知られていた。また、日本国現存最古の刀剣書である『観智院本銘尽』では、「神代鍛冶」、「日本国鍛冶銘」、「大宝年中」、「神代より当代までの上手鍛冶」の各項目で取り上げられており、古来、名工として扱われていることが窺い知れる[2]。
また一伝承によれば、天国は日本刀初期の名工である三条宗近の師であったともされる。天明4年(1784年)の『彩画職人部類』の「鍛冶」の項では、天国とともに鍛冶を行う年若き三条宗近の挿絵が掲載されている[3]。
天国が作成したとされる刀はいくつか現存するが、そもそも天国の実在が確認できていないことから、真偽は伝承の域を出るものではない。以下、天国作刀の伝承又は記録が残されているものについて、真偽を問わず取り上げる。
奈良県内には天国の居所に関する伝承が残されている。
奈良県高市郡高取町字清水谷の芦原峠北側にあった尼ヶ谷集落(大和国高市郡清水谷村字アマクニ[8])には、天国が作刀した地としての伝承が残されており[9]、刀工の名が尼ヶ谷の地名の由来とも伝えられる。現在同地の集落は消滅したが、作刀の際に使用したとされる井戸が、当地に存在した元・天国三輪神社に残されている[10]。同社は天国の守護神である大神神社の大物主の分霊を祀っていたとされており、現在、同字にある高生神社に遷され合祀されている[9][10]。
奈良県宇陀市には天国が作刀した地としての伝承が残されており、市内の菟田野稲戸にある八坂神社には作刀の際に使用したとされる井戸が残されている。また同市内の八咫烏神社の周辺地域にも一時的に天国が住み小烏丸を作刀したという口伝がある。
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