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大谷 友右衞門(おおたに ともえもん、新字体:友右衛門)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は明石屋。 定紋は丸十[1]、替紋は水仙丸。
天保2年 (1831)、二代目友右衛門の門人ふたりが、ほぼ時を同じくして大坂と江戸でそれぞれ大谷友右衛門を襲名している。この結果、天保10年暮れに上方の友右衛門が死去するまでの8年間にわたって、上方と江戸で大谷友右衛門が並立することになった。今日では襲名が少し早かった上方の友右衛門を三代目、江戸の友衛門を四代目として数えている。
大谷友右衛門はいわゆる江戸の大名跡のひとつで、通常はそれ自体が止め名となるが、七代目は友右衛門襲名後に上方歌舞伎の大名跡・中村雀右衛門家に位牌養子に入って四代目雀右衛門を継いでいる。これは、徴兵で入隊し第二次世界大戦従軍中に戦死した三代目雀右衛門の長男・中村景章(終戦後「五代目中村芝雀」を追贈)が七代目友右衛門の無二の親友だった関係による。友右衛門も景章に2年遅れて徴兵され、過酷な南方の戦地を6年間も転戦したが、こちらは幸運にも生きて再び祖国の地を踏むことができた。終戦後復員してきた懐かしい友右衛門の姿を見た景章の母(三代目雀右衛門の未亡人)はそこに何か運命的なものを感じ、以後は友右衛門を我が子同然に可愛がった。そして、息子が果たせなかった「雀右衛門」襲名は、ぜひ親友だったあなたにしてもらいたいと、再三にわたって懇願したのである。大谷友右衛門の明石屋と中村雀右衛門の京屋は、姻戚関係はおろか子弟関係の接点すらない、系統のまったく異なる家系で、この継承は故人の無念の想いをその親友に託すという、異色の養子縁組となった。
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