多劫姫
戦国時代から江戸時代前期の女性。 ウィキペディアから
戦国時代から江戸時代前期の女性。 ウィキペディアから
多劫姫(たけひめ、天文22年(1553年) - 元和4年6月7日(1618年7月28日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての女性。久松俊勝の娘。母は於大の方で、徳川家康の異父妹。桜井松平忠正の室、のち松平忠吉の室、さらに保科正直の室。亀姫とも。
天文22年、尾張国阿古居城(現在の愛知県知多郡阿久比町)にて、久松俊勝と於大の娘として生まれる。
初め、松平忠正に嫁ぎ、家広を産んだ。しかし、天正5年(1577年)に夫が死去したため、その弟・忠吉に再嫁した。忠吉との間に二子(松平信吉、松平忠頼)を儲けたが、天正10年(1582年)に夫が死去し、多劫姫は再び寡婦となった。
天正12年(1584年)、信濃国高遠城主、保科正直に再々嫁し、保科正貞、北条氏重、大涼院(黒田長政継室)、清元院(安部信盛室)、貞松院(小出吉英室)、高運院(加藤明成室)の二男四女を儲けた。
元和4年(1618年)、死去した。戒名は長元院。
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