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塩士 暖(しおじ だん、2006年5月18日 - )は、石川県輪島市出身[1]のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。
輪島市立大屋小学校[1]では陸上部に所属し、輪島市立輪島中学校で本格的に野球を始め、軟式野球部に所属して外野手であった[2]。
門前高校へ入学すると、1年春からベンチ入り[2]。1年夏の石川大会は中堅手として2試合に先発出場して2回戦敗退であった[3][4]。1年秋は県大会初戦(小松大谷との2回戦)で敗退[5]。2年春の県大会では初戦(金沢龍谷との2回戦)に2番手で登板したが、チームは敗退した[6]。2年夏からエースナンバーを背負い[7]、石川大会では初戦(石川高専との2回戦)に先発[8]、2年秋の県大会は初戦(羽咋工業との1回戦)に3番手で登板したが[9]、いずれも初戦敗退であった。
2024年1月1日の能登半島地震で被災し、自宅は全壊[10]。学校も再開の目途が立たず、避難所の手伝いをする生活が2週間ほど続き[7]、体重は5kgほど落ちた。ただ、自宅が金沢市/小松市にある[11]チームメイト2名の母親からの提案で[7]、その後はチームメイトの自宅に泊めてもらいながら自主練習をする日々が3月まで続き、体重も8kg増加[11]。3年春の県大会は初戦(星稜との2回戦)に先発してチームは敗れたものの[12]、3年夏の石川大会では小松市立との1回戦で6回コールドの参考記録ながらノーヒットノーランを達成し[13]、1年夏以来となる初戦突破。その後も勝ち進み、エースとしてチームを史上初のベスト8に導いた[1]。
10月24日に開催されたドラフト会議にて、福岡ソフトバンクホークスから育成13位指名を受けた[1][注 1]。11月14日には支度金300万円・年俸360万円(金額はいずれも推定)で入団に合意[15]。12月9日に背番号が152と発表された[16]。
最速145km/hのストレートが自慢の右腕[17]。担当スカウトの松本輝は「体のバネがあって投手としてすごく良い素材」と評する[18]。
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