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堀田 正民(ほった まさたみ、天明元年(1781年)- 天保9年8月19日(1838年10月7日))は、近江宮川藩の第6代藩主。堀田家宗家8代。
第5代藩主・堀田正穀の長男。正室は松山藩主・松平定国の養女(松平定諡の娘)。側室に松平氏。子は娘(堀田正義正室)。官位は従五位下、美濃守、豊前守、加賀守。
文化12年(1815年)2月6日、父の隠居により跡を継ぐ。文化14年(1817年)1月20日、大番頭に就任する。文政10年(1828年)9月12日、奏者番に就任する。天保9年(1838年)8月19日、58歳で死去し、跡を婿養子の正義が継いだ。
正民には、絵を描く趣味があったらしい。文政12年(1829年)日吉神社(長浜市)の曳山「颯々館」の見送幕に「雲龍図」を描き、天保4年(1833年)春には「瓢鮎図」(退蔵院蔵、国宝)を忠実に模写し(妙心寺の塔頭・麟祥院蔵)、全身骸骨の図を手掛ける[1]など数点の作品が知られている[2]。
また、自然科学にも興味があり、多くの蝶や蛾の姿を色彩豊かに描いた『蜻蝶譜(せいちょうふ)』(内閣文庫所蔵)や、望遠鏡を用いて精密な観測を行ない制作した月面の地図『太陰之図』(文化1年、1813)が残されている[3]。
父母
正室
側室
子女
養子
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