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在原 弘景(ありわら の ひろかげ、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族。弾正尹・阿保親王の孫。刑部少輔・在原仲平の子[1]。官位は正五位下・右馬頭。
陽成朝にて、左衛門少尉を経て、元慶3年(879年)従五位下に叙爵し、のち中務少輔に任ぜられる。
元慶8年(884年)2月の光孝天皇践祚に際して近江国の固関使を務め、同年12月には美作国に派遣されて野禽の狩猟を行っている[2]。仁和2年(886年)従五位上・右衛門権佐に叙任される。
宇多朝では、正五位下・右近衛少将に叙任されたのち、寛平6年(894年)五位蔵人に補せられて天皇の身近に仕えるが、翌寛平7年(895年)には病気により蔵人を辞任している。寛平9年(897年)右近衛少将から少納言に遷り、のち右馬頭も務めた。
注記のないものは『日本三代実録』による。
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