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戦国時代から安土桃山時代の武将 ウィキペディアから
土屋 昌恒(つちや まさつね)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。「片手千人斬り」の伝説と異名を持つ。
武田氏の家臣で譜代家老衆の金丸筑前守の五男・惣蔵として甲斐国に生まれる。
筑前守の次男・昌続は武田信玄の側近として活躍し、永禄4年(1561年)9月の川中島の戦い以降に土屋氏の名跡を与えられ、𡈽屋昌続となった[2]。
武勇に優れ、永禄11年の今川家との宇津房合戦に13歳で初陣し、敵方の岡部貞綱家臣の首を討ち取った。
永禄11年(1568年)の駿河侵攻後に武田信玄に降り、武田家の海賊衆となった岡部貞綱は、自分の家臣を討ち取った昌恒を養子にしたいと嘆願したという(岡部貞綱は後に信玄より土屋姓を与えられ、永禄13年(1570年)には土屋豊前守貞綱を名乗っている[3])。
これにより惣蔵は土屋貞綱の養子となり、𡈽屋昌恒と名を改める。
昌恒は信玄・勝頼期の武田家に仕えた。天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いでは兄の昌続・養父の貞綱がともに戦死し、昌続と貞綱の双方に男子がいなかったため、昌恒は両土屋家を継承し、昌続と貞綱双方の遺臣を率いた[2]。
勝頼時代、昌恒は主に東海道方面・関東方面の戦いの多くに参加した。
天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍の甲州征伐では、最後まで武田勝頼に従う[1]。『新編会津風土記』によれば、同年3月1日に最後となる龍朱印状を奉じている[4]。『甲乱記』によれば、勝頼一行が小山田信茂を頼り郡内へ逃れる最中に信茂の離反を知り、動揺する勝頼側近の跡部勝資に対してこれを非難したという[4]。
織田信長の武田攻めで、家臣の離反が相次ぐ中、土屋昌恒は最後まで勝頼に従い続けて忠義を全うした。勝頼たちは最終的に天目山へ向かったが、勝頼に付き従った者は、田野村に着く頃には昌恒を含めてわずか数十人だった。
『信長公記』『甲乱記』『甲陽軍鑑』によれば、天目山の戦いにて勝頼が自害を覚悟したとき、昌恒は勝頼が自害するまでの時間を稼ぐため、織田勢を相手に奮戦した。その際、狭い崖道で織田勢を迎え撃つため、片手で藤蔓をつかんで崖下へ転落しないようにし、片手で戦い続けたことから、後に「片手千人斬り」の異名をとった。享年27。
昌恒のために日川に突き落とされた千人もの兵が流した血は、川の水を赤く染めて、それは3日間も色を失わなかったという。人々はのちにこの川を「三日血川」と呼ぶようになり、後世まで片手千人斬りの伝説を語り伝えた。
この働きにより、勝頼は織田方に討ち取られることなく自刃した。『理慶尼記』によれば、勝頼の命で自害した夫人に介錯をしたともいわれる。
勝頼の辞世の句、「朧なる 月のほのかに 雲かすみ 晴て
昌恒の働きは戦後、織田信長からも賞賛され、「よき武者数多を射倒したのちに追腹を切って果て、比類なき働きを残した」と『信長公記』に記されている。『三河物語』では、徳川家臣の大久保忠教が昌恒の活躍を賞賛している[4]。
武田家の滅亡後、同年10月9日に土屋民部少輔が高野山成慶院において昌恒の供養を行う。法名は「忠叟道節大禅門院」[4]。なお、『寛永諸家系図伝』では法名を「道節」、『甲斐国志』によれば、甲州市大和町田野の景徳院の位牌では「忠庵存孝居士」としている[4]。
昌恒は養父・貞綱の実家である岡部氏の岡部元信の娘を妻に迎え、嫡男の土屋忠直を儲けている。
『寛政重修諸家譜』によれば、嫡男の土屋忠直は母に連れられて脱出したという[4]。天正10年6月の天正壬午の乱を経て、甲斐は三河国の徳川家康が領するが、忠直の同心70名は徳川家臣・井伊直政に付属され、乱の最中に家康に対して忠誠を誓った天正壬午起請文を提出している[4]。忠直自身は天正16年(1588年)に家康に拝謁し、家康側室の阿茶局により養育される[4]。慶長7年(1602年)に忠直は上総久留里藩の大名となった。
昌恒のもう一人の遺児、重虎は信州新野(現阿南町新野)の光國瞬玉和尚を頼って落ち延びた。光國瞬玉は武田信玄の叔父(武田信虎の弟)であり、新野の瑞光院の開山であった。昌恒は光國瞬玉に辞世の句と頼状を残しており、重虎には複数の家臣、乳母、下人が同行し、形見も託された。光國瞬玉の元で重虎は出家し、代々僧侶を務めた。江戸時代には庄屋となっており、帯刀を認められていた。
弟子には現存する即身仏(ミイラ)の一体である心宗行順大行者(行人様)がいる。
表紋は九曜、裏紋は三ツ石。
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