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原因と結果の関係 ウィキペディアから
因果関係(いんがかんけい)とは、ある事実と別のある事実との間に発生する原因と結果の関係のことである。特に法学においては、因果関係が存在することが、法律による効果発生の要件となっている場合がある。
因果関係が問題となる事件は、刑法分野と民法分野に大きく分類できる。
刑法では、実行行為(例、XがYを刃物で刺す)と結果(Yが死亡する)との間に因果関係があることが、結果について行為者に客観的に帰責する(Xに対してYの死亡の責任を問う)ための要件であるとされる[1]。 結果犯[2]では、構成要件要素として、実行行為と結果の間に因果関係が必要とされる[1]。
因果関係の存在の有無は、後述する条件関係の有無が基礎となる。しかし、ある行為と条件関係が有る全ての結果について刑事責任が問われるわけではない。責任が問われる範囲を妥当にするための理論について、日本においては、判例・学説の争いがある[3]。
条件関係とは、行為が、結果に対する条件として、事実としてつながっている関係である[1][4]。条件関係とは、行為と結果の関係の(比較的)事実的な判断である。
その判断方法として、伝統的には、「その行為がなかったならば、結果も存しなかったであろう」といえるかどうかという判断方法によるとされてきた。これは標語的に「『あれ[行為]なければ、これ[結果]なし』の判断」、あるいは、ラテン語から「conditio sine qua non公式(略してc.s.q.n.公式とも)」と呼ばれている[4]。
しかし、「『あれ』を取り去ると『これ』が消える」ことから「『あれ』と『これ』に因果関係がある」ことを推論するのは因果関係を前提としてしかできない論理の飛躍である(「あれ」と「これ」との存在・消滅に同時性がある理由としては、二者が第三の要素と関係があるからにすぎないとか偶然に過ぎないという事態を排除できない)、といった理論的批判のほか、以下のような種々の事例のうちいくつかを説明するには大きな修正が必要である、といった批判が指摘されるようになった。
こうしたことから、むしろ「あれあればこれあり」といえるような、行為から結果に到るまでの経過を逐一自然法則で吟味しながら追いかけていくべしとする立場がエンギッシュによって提唱された[5]。これを合法則的条件関係説という。
行為と結果の間に、上記のような条件関係が肯定された場合、さらに、刑法上の因果関係の存在を認めるのかについての判断が必要となる。日本においては、その判断基準・方法について判例と各学説で争いがある。日本における通説は、相当因果関係説である[6]。
判例はかつて、条件関係があれば足りるとする条件説に近いとされていた[7]。しかし、米兵轢き逃げ事件では、「経験則上当然予想しえられるところであるとは到底いえない」第三者の介入があったとして因果関係を認めず、相当説に近い判示がなされた。現在の判例は「行為の危険性が結果へと現実化したか」という危険の現実化が基準とされて因果関係の判断が行われていると指摘する声がある[8]。 現に、最一小決平成22年10月26日刑集64巻7号1019頁は「そうすると、本件ニアミスは、言い間違いによる本件降下指示の危険性が現実化したものであり、同指示と本件ニアミスとの間には因果関係があるというべきである。」と判示し、「危険性が現実化」という用語を用いて因果関係を肯定している[9]。
条件説は、条件関係さえあれば、刑法上の因果関係を認めるとする説[10]。この説の立場からは、何らかの事情によって行為者に問う責任を限定するのは、因果関係を論じる段階ではなく、責任論において行うことが可能だとされる[11]。
条件関係だけでは構成要件に該当する対象が余りにも拡大しすぎ、偶発的な事態や異常な事態による結果についても帰責されてしまうおそれがある。相当因果関係説では、ある行為からある結果が発生することが一般に予想することができない場合は、条件関係は成立しても因果関係は成立しないとする[12]。したがって、因果関係の有無を判断する上で偶発的な事情や異常な事態を排除して考えることができ、刑法の謙抑性にも適う結果が得られるとして日本刑法学における通説となった[12][13]。一方、 ドイツでは因果関係に関し条件説が通説である[14][15]。
相当性とは、「社会生活上の経験に照らして、通常その行為からその結果が発生することが相当だとみられる関係」(因果経路の通常性)といわれる[12][13]。この、相当性の有無を判断する際に、その基礎(判断基底)としてどのような事情を考慮すべきか(つまり相当性を判断する判断材料に何を採用するか)によって、伝統的には以下の三説に分けられる[16][17]。
長きに渡り客観説と折衷説との間で論争がなされ、折衷説が通説の地位を築いてきたが、いわゆる大阪南港事件に端を発する後述の「相当因果関係の危機」を契機として、近年、危険の現実化説が新たに通説の地位を占めるようになった。過去の判例は条件説を判示していたが、現在では条件説をベースに行為後に介入した事情をどの程度因果経過に含めて評価するかについて危険の現実化の枠組みを使っていると評価されている。
いわゆる大阪南港事件の最高裁判例解説[20]において、担当した大谷直人調査官が、上記の三説(判断基底論)のいずれも実務に適切な思考形態でなく、現に使われていないと批判したことに端を発した議論をいう。
これに対して、あくまで従来の判断基底論を堅持しこれによっても判例は説明可能であるとする考え方がある一方、従来の判断基底論を変容させ、例えば個々の介在事情を考慮する・しないの二択ではなく、 実行行為や結果の具体的なあり方との関係で、その危険をどれだけ促進したか・すべきものかといった考慮も相当因果関係の判断に含めるべきとする考え方も現れてきた。
また、ドイツでは、後述の客観的帰属論が有力であり、日本においても注目されている[21]。相当因果関係説の中でも後者のような考え方は、客観的帰属論に近いとされる。それは相当因果関係説の論者も認めるところであるが、そうであるにもかかわらず客観的帰属論としないのは、客観的帰属論は本来、因果関係に対するのみならず、刑法体系全体に関わるものであるところ、すでに判例実務・学説の確立している部分と相容れないところがあるため、相当因果関係に関する部分でのみ、相当因果関係論の名のもとに客観的帰属論の成果を取り込めば足りるとするからである。
判例は条件関係があれば足りるとし、過失も不要だとする[25]。
これに対して通説は、責任主義徹底の見地から、因果関係に加えて、過失ないし予見可能性があることを要するとする[26]。
民法では、損害賠償および不当利得の事件において問題となる。
債務不履行や不法行為によって発生した損害について、行為者に賠償責任を負わせるためには、行為と発生した損害の間に因果関係がなければならない。このような、条件関係に基づいて認められる因果関係を、特に事実的因果関係ともいう[27]。
しかし、事実的因果関係のみで損害賠償責任を認めると際限がないため、損害賠償の範囲は相当な因果関係に限られるとするのが相当因果関係説である[28]。この理論によれば、現実に生じた損害のうち、債務不履行があれば通常生じるであろう損害を賠償すれば足りることとなる[28]。根拠条文は416条であり、不法行為による損害賠償の場合にも、同条が類推適用される。
不当利得の事件においては、問題となる受益と損失との間に因果関係があることが、不当利得が認められるための一般的要件の1つである[29]。ここで必要となる因果関係については、学説の対立がある[29]。判例は、直接の因果関係が必要だとしてきた[29]が、この考えを改める判例もみられる[30][31]。
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