喜多川月麿
江戸時代の浮世絵師 ウィキペディアから
江戸時代の浮世絵師 ウィキペディアから
喜多川歌麿の門人。姓は小川、名は潤。俗称千助(または六三郎)、字は子達(士達)。墨亭、遒斎、のちに観雪と号した。初名を菊麿(寛政ごろより使用)、享和2年(1802年)以降に喜久麿、文化元年(1804年)からは月麿と名乗ったという。その文化元年に師である歌麿とともに手鎖に処せられた。錦絵より草双紙の挿絵や肉筆美人画に手腕を発揮し、特に十返舎一九とは関係が深かったらしく、一九の戯作でしばしば挿絵を担当している。作品は、月麿落款の頃は師の歌麿の晩年の画風を追うものが多い。文化期以降は葛飾北斎風となり、観雪と号して後は浮世絵の製作からは離れたといわれているが、「観雪」と落款した肉筆美人画が残っており、渓斎英泉風に画風が変化している。ただしその描写や画題には上方の四条派などの影響も認められ、上方の地において絵の修行をしていた可能性が指摘されている。
作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款・印章 | 備考 |
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姫君図 | 絹本着色 | 1幅 | 108.3x40.6 | 東京国立博物館 | 款記「墨亭月麿筆」/「墨亭」朱文方印・「月麿」白文重郭方印 | ||
桜黒木売美人図 | 1幅 | 40.9x51.5 | 東京国立博物館 | ||||
仕掛をなおす花魁図 | 紙本着色 | 1幅 | 浮世絵太田記念美術館 | ||||
遊女立姿図 | 紙本着色 | 1幅 | 浮世絵太田記念美術館 | ||||
美人花見の図 | 絹本着色 | 1幅 | 浮世絵太田記念美術館 | ||||
萩と女 | 絹本着色 | 1幅 | 82.0x29.0 | 光ミュージアム | 款記「菊麿筆」/「喜久麿」の朱文方印 | 那須ロイヤル美術館(小針コレクション)旧蔵。菊麿と喜久麿を併記していることから改名前後の作か[2]。 | |
遊女 | 絹本着色 | 1幅 | 款記「喜久麿筆」/「南山」朱文方印 | 那須ロイヤル美術館(小針コレクション)旧蔵 | |||
美人図 | 紙本着色 | 1幅 | 京都府立総合資料館所蔵(京都文化博物館管理) | ||||
南部信房公肖像 | 紙本着色 | 1幅 | 八戸俳諧倶楽部 | ||||
四季草木図 | 紙本着色 | 六曲一双押絵貼 | 135.2x56.2(各) | 個人(愛媛県美術館寄託) | 梅図(正月)に款記「墨亭月麿寫」/「月麿之印」白文方印・「墨亭」白文方印 松樹(十二月)に款記「墨亭月麿寫」/「月麿」白文方印・「墨亭」朱文方印 |
月次絵[3][4] | |
二美人図 | 紙本着色 | 1幅 | 124.5x56.0 | 心遠館(プライスコレクション[5]) | 無款、箱書に「菊麿筆」とあり | ||
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