和田善平

日本の建築家 ウィキペディアから

和田 善平(わだ よしひら[1]1844年弘化元年)[1] - 1908年明治41年)5月2日[1])は、日本の建築家

経歴

京都生まれ[2]。家は代々朝廷の内匠(うちたくみ)職(棟梁[1]。明治時代になり東京に移り、内匠課雇として宮内省にはいり、建築掛設計方として皇居造営[2]小松宮東伏見宮梨本宮邸宅の設計などに関わる[3]

造営では賢所神嘉殿などを担当した[2]。また東宮御所1897年(明治30年)新築の新御座所を手がけている[2]

1908年(明治41年)5月2日歿。享年65歳。墓所は青山霊園1-ロ21-1。墓石には、内匠寮技師正七位勲六等和田善平と刻まれている。また、墓碑に刻まれている歿年が「明治四十一年五月一日」となっており、記録とは1日ずれている。

脚注

参考文献

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