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和泉要助(いずみ ようすけ、文政12年11月25日(1829年12月20日) - 明治33年(1900年)9月30日)は明治時代の発明家。人力車の発明者の1人とされる[1]。姓は「長谷川」とも表した。
筑前国鞍手郡平泉村生まれ。筑前福岡藩の藩士出水要の養子となり、のち和泉要助と名を改めた。1870年(明治3年)に鈴木徳次郎、高山幸助と人力車の製作を行い、同年3月22日に東京府より製造と営業の許可を得た[1][2][3]。翌年、和泉らは人力車総行事に任命されたが[1]、1873(明治6年)の税制整備によって雑税が廃止され、人力車総行事の職は廃止された[1]。第1回内国勧業博覧会で龍紋賞を受章した[1]。
1871年(明治4年)「専売略規則」の制定時や1885年(明治18年)の「専売特許条例」の公布時に専売特許を出願したものの、すでに一般に普及していたことを理由に、人力車は発明品として特許を得ることはできなかった[1]。
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