呂号第一潜水艦

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呂号第一潜水艦(ろごうだいいちせんすいかん)は、日本海軍潜水艦呂一型潜水艦(F1型)の1番艦。竣工時の艦名は第十八潜水艦

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艦歴
計画大正4年度計画[1]
起工1917年1月5日[1]
進水1919年7月28日[1]
就役1920年3月31日[1]
除籍1932年4月1日[1]
その後1932年4月1日雑役船編入、沈錘船に指定、公称第2929号と改名。1937年6月26日廃船
性能諸元
排水量基準:689トン 常備:717トン
水中:1,047トン
全長65.58m
全幅6.07m
吃水4.19m
機関フィアット式ディーゼル2基2軸
水上:2,600馬力
水中:1,100馬力
速力水上:18kt
水中:8kt
航続距離水上:10ktで3,500海里
水中:4ktで75海里
燃料重油
乗員43名
兵装短7.5cm単装砲1門
45cm魚雷発射管 艦首3門、艦尾2門
魚雷8本
備考安全潜航深度:50m
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艦歴

1917年大正6年)1月5日、神戸川崎造船所で起工。1919年(大正8年)7月28日進水。1920年(大正9年)3月31日竣工。竣工時の艦名は第十八潜水艦、二等潜水艦に類別[1]

1924年(大正13年)11月1日、呂号第一潜水艦に改称[1]

1932年(昭和7年)4月1日に除籍。

同日、雑役船に編入し沈錘船となり公称第2929号と改名。訓練用沈没艦として特務艦朝日の沈没潜水艦救難実験や訓練に使用された[2]

1937年(昭和12年)5月31日、船体の老朽化や、朝日の救難装備の撤去が決まったため、沈錘船は製鋼材料とすることとなった[3]。これを受け、公称第2929号は同年6月26日に廃船となった[4]

船体構造の欠陥から潜航深度20mが限界で、実戦用潜水艦に適さないと判定された[5]

歴代艦長

※艦長等は『日本海軍史』第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長

  • 上林潔 少佐:1919年6月1日[6] -

艦長

  • 上林潔 少佐:1920年3月31日[7] - 4月20日[8]
  • (心得)高塚省吾 大尉:1920年12月1日 - 1922年1月10日
  • (心得)寺垣敬三 大尉:1922年1月10日 - 1923年5月1日

脚注

参考文献

外部リンク

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