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薬などを携帯するための小さな容器 ウィキペディアから
印籠(いんろう)とは、薬などを携帯するための小さな容器のことを言う。当初は印を入れたことから印籠と称され、主に携帯用の常備薬入れとして実用的な道具であったが、後に美術工芸品へと変容した。数える単位は合(ごう)、または具(ぐ・そなえ)。
多くの印籠は平たい長方形をしており、素材は紙製、木製または金属製で3段から5段くらいに分割できるようになっている。最も多いのが紙製で、和紙と漆を何層にも巻いて固めて本体部分を形成している。これは木製では歪みやひび割れが起きやすく、特に持ち歩く装身具としては耐久性に問題があるからである[1][2]。一般的に表面には漆が塗られ、蒔絵、螺鈿、象嵌、切金などが施されたものもあり、この点から日本の漆器の一部でもあるともいえる。着装する場合は、印籠の各段の両脇に紐を通して印籠の上で緒締めで束ねて、紐を着物の帯の裏側に潜らせ、紐の先端についた根付けを帯の上端に引っ掛けて印籠を腰からぶら下げた。
印判を入れる箱としては日本には中国から印判入れが渡来していたが、これは食品の入れ物や床の間の棚の置物としても利用される据え置き式のものであった[2][3]。一方、印籠は日本で独自に進化した小型の携帯用の容器で、主に印判や常備薬を入れていた[2][3]。『尺素往来』や『日欧文化比較』の記述から、室町時代には日本人が香料や薬、火打石などを入れた小さな袋を腰に下げて持ち歩く習慣があったとみられており[4]、戦国時代には貴重品である薬を数種類携行できる頑丈な積み重ねの箱型容器として印籠が登場した[2][5]。一方、茶の湯の文化との関連性も指摘されており、茶器の棗(なつめ)が積み重ねの様式をもつ「印籠」の名を借りて薬の携帯容器に発展したものとも考えられている[6]。
印籠の登場で江戸時代の武士や町人には印籠で常備薬を携行する習慣が浸透した[5]。印籠は江戸時代の浮世絵や様々な史料に頻繁に登場し、そこから江戸時代の一時期、印籠が権力や地位を象徴する装身具であったとみられている[7]。テレビドラマ「水戸黄門」でも権力のシンボルとして描かれている[7]。また現代の大相撲でも、行司の中で最高位の立行司とその下の三役格行司だけが印籠の装備を許されている[8]。
しかし次第に印籠の実用的な機能は失われ、江戸時代中期以降は華やかに加飾された印籠が登場し人々の間で流行し始め、装身具から愛玩品へと変容し、特に幕末から明治に入ると飛躍的に技術が精緻になり美的要素を押し出した印籠が登場し、完全に美術工芸品として扱われるようになった[1][2]。海外から幕末や明治の工芸品を積極的に買い戻している清水三年坂美術館創設者の村田理如や、漆工工房雲龍庵の創設者の北村辰雄も、海外のアンティークショップやオークションでこの時期の印籠に出会ってその美しさに驚愕して美術館の開館と工房の創設に至っている。村田によると1980年代に自身がコレクションを始めた頃には既に優品は海外に流出しきっており、日本国内には全くと言っていいほど優品が残っていなかったという[9]。また日本人の生活の西洋化により高度な印籠の製作技術は失われていたが、1980年代に北村率いる雲龍庵が再現に成功し、今日では世界中の富裕層のコレクターに販売している[10][11][12]。
「いんろう」という言葉は、転じて以下の意味にも使われる。
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