南沢宇忠治
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南沢 宇忠治(みなみざわ うちゅうじ、明治7年(1874年)3月21日[1] - 昭和7年(1932年)4月6日[2])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。
長野県更級郡石川村(現長野市)に旧松代藩士・南沢忠正の長男として生まれる[3]。旧制長野県尋常中学、旧制第一高等中学を経て、明治34年(1901年)東京帝国大学工科大学電気工学科卒業[3]。大倉組に入社したが、同38年(1905年)に日光電力に技師長として招聘され、その後は独立し 東京に八重洲商会を創立し、電気器具の販売の他、東京市電気局や東京電燈等各社の電気工事の請負を手掛けた[3]。また藤田組と協力し、北安曇郡大町に明治水力電気を創立して重役となった。
大正6年(1917年)第13回衆議院議員総選挙に当選し、千曲川の堤防構築による治水問題に取り組んだ。同14年(1925年)川柳将軍塚古墳の保存に参加し、記念館を建設して寄付を行った。
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