南カサイ鉱山国
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南カサイ鉱山国(フランス語: État minier du Sud-Kasaï)とは、コンゴ動乱期の1960年8月9日から1962年10月5日にコンゴ共和国[注 1]から事実上独立した分離主義国家。コンゴ危機と知られるベルギー領コンゴからのコンゴの独立から生じる政治的混乱の間にカタンガ州と同様の状況で完全な自治を求めた。しかしカタンガ国と異なり、南カサイ鉱山国の独立を明示的に宣言したり、コンゴの主権を拒否したりはしなかった。首都はバクワンガ(現ムブジマイ)。1960年9月1日から南カサイ鉱山国から南カサイ自治国に改名し、1961年4月8日に南カサイ連邦に改名。1961年4月12日から王制に移行。
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大統領に就任したアルベール・カロンジはルバ族の実業家で、コンゴ独立前はMNCのカサイ州委員長をしていたが、MNCの州支部をルバ族で固めようとしたためカサイ州の他の部族と対立。ルムンバと袂を分かってMNCの分派を結成していた。
南カサイはカタンガ国憲兵隊の支援を受けて2000人の軍を組織したが、8月末にコンゴ軍に攻め込まれると、殆ど抵抗できずに制圧され、一旦カタンガへ逃げ込んだアルベール・カロンジは、南カサイ鉱山国の独立を撤回して自治政府に改めた。しかし1961年に入り、ルムンバの死で挙国一致体制に向けた円卓会議が開かれると、カロンジは4月に南カサイを連邦政府に改組し、自分の父を皇帝に即位させた[注 2]。
その後、1961年末のコンゴ軍と国連軍攻勢で南カサイは占領され、カロンジは逮捕されたが、翌年脱走に成功。1964年に亡命先のスペインから呼び戻されたチョンベ[注 3]がコンゴ政府の首相になると、カロンジは農相に就任している。
カサイ州はモブツの独裁体制下の1966年に、南カサイの独立運動の芽を摘み取る目的で東カサイ州と西カサイ州に分割された。
カロンジは他のコンゴ動乱期の指導者たちと違って長生きし2005年南カサイ鉱山国についての自伝を出版している。南カサイは世界一のダイヤモンドの産地である。
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