卓庚鉉
日本の軍人 (1920-1945) ウィキペディアから
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日本の軍人 (1920-1945) ウィキペディアから
卓 庚鉉(たく・こうげん[1]、タク・キョンヒョン[2]、朝鮮語: 탁경현、1920年6月5日 - 1945年5月11日[3])は、大日本帝国陸軍軍人、朝鮮人特攻隊員。日本名は光山文博。
1920年に慶尚南道で生まれ、京都府の立命館中学校、京都薬学専門学校[4]を卒業する。1943年10月、特別操縦見習士官一期生[4]に合格し、鹿児島県知覧にあった大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所に赴任する。1944年10月には陸軍少尉に任官する。
1945年5月11日、戦闘機の隼にて出撃、沖縄飛行場西海面で戦死した[4]。没後、二階級特進で大尉となった[4]。
出撃の前日、富屋食堂の鳥濱トメに自身が朝鮮人ということを明かした上で、アリランを歌ったというエピソードが有名である。卓庚鉉の写真は靖国神社の遊就館に掲げられている[2]。
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