伊予大洲藩初代藩主・加藤貞泰の次男として誕生。大洲藩2代藩主・加藤泰興の弟に当たる。
元和9年(1623年)、貞泰が世嗣を定めないまま死去したため、幕命により泰興がその後継とされ、直泰には1万石分与の内諾が下されたが、泰興はこれを認めようとしなかったため対立した。寛永16年(1639年)、藩内分知とすることで和解した。寛永19年(1642年)、喜多郡上新谷村に新谷陣屋を築いた。また歌道を良くし、古今伝授を受けている[要出典]。
天和2年(1682年)正月5日、68歳で死去し、跡を泰興の孫で養嗣子の泰觚が継いだ。