数学者、陸軍教授 ウィキペディアから
刈屋 他人次郎(かりや たにんじろう[1]、かりや よそじろう、1874年 - 1921年1月6日)は、日本の数学者、陸軍教授[2]。刈屋の定理の発見者として知られる[3]。
1874年、岩手県の士族に生まれる[4]。1896年、第二高等学校の第二部理科を卒業、理科大学の数理科に入る[5][6][7]。1900年、東京大学院に理学士として入学し解析学を専攻する[8][9]。同時に学士会に入会する[10]。
1901年、高等官七等を叙され、10月8日、陸軍砲工学校の陸軍教授に任命[11][12][13]。1904年、陸軍省に入る[14]。日本女学校や東洋協会専門学校、台湾協会学校で働いたこともあった[15][16]。1921年1月6日没す[17]。
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