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熊本藩の医学校 ウィキペディアから
再春館(さいしゅんかん)とは、熊本藩の第6代藩主細川重賢が宝暦6年(1756年)に設立した藩校(医学校)。北里柴三郎らを輩出した。熊本大学医学部の前身。
村井見朴(けんぼく、1702-1760)は、熊本府の民間医師・村井知安の長男で、享保年間末に私塾の復陽洞(堂)を開き、治療の傍ら多くの医学生を育てたが、眼病により50歳で失明、宝暦6年(1756年)に熊本藩八代藩主・細川重賢の命を受けて医学校の再春館を創立した[1]。見朴の長男・村井琴山(椿寿、1733-1815)は父を助けて再春館の基礎を築き、山脇東洋、吉益東洞より古医道(古方派医術)を学んで再春館に採り入れ、それらの功績により村井家は藩医に取り立てられた[1][2]。その後、村井家は琴山の長男の村井蕉雪 (1769-1841) 、蕉雪の弟の村井玄斎(白陽)、玄斎の子の村井同雲(翠渓)、同雲の弟の村井雲台(琴浦)、雲台の子の村井同吉が代々藩医を務めた[3]。
前記8科の外に引経科(解剖学)、物産科(薬物の性能)がある。
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