八戸 信長(はちのへ のぶなが)は、室町時代中期の武士。八戸氏(根城南部氏)14代当主。 概要 凡例八戸信長, 時代 ... 凡例八戸信長時代 室町時代中期生誕 不明死没 永正5年(1508年)?[1]別名 南部信長官位 但馬守氏族 八戸氏父母 八戸政経子 治義、九戸信仲正室テンプレートを表示閉じる 略歴 八戸政経の嫡男。上洛に際して8代将軍・足利義政に出仕、但馬守を拝任した。 京都御所で横笛を吹奏するという栄に浴するなど、上洛中の状況を国元の七戸氏あてに通報した書状が『八戸(遠野)南部家文書』[2]に所伝されている。ただし、この書状は永禄7年(1564年)のものであるという説もあり、その場合同名の別人ということになる[3]。 脚注 [1]滝尻侑貴「「南部信長」は誰か」『戦国の北奥羽南部氏』デーリー東北新聞社、2021年 [2]青森県史 資料編 中世 1 [3]『新編八戸市史』 中世資料編 編年資料 参考文献 青森県史編さん中世部会『青森県史 資料編 中世 1 南部氏関係資料』青森県、2004年3月31日。 岩手放送『新版 岩手百科事典』岩手放送株式会社、1988年10月15日。 熊谷隆次ら『戦国の北奥羽南部氏』デーリー東北新聞社、2021年6月16日。この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集Wikiwand - on Seamless Wikipedia browsing. On steroids.